衝撃のわからなさ

わかってません

模索する楽しさを思い出したのと、家庭用ロボットと、ロボットエンジニアになれなかった自分のためにAPIを作っている話

1年半ほど前からロボットの会社に転職して模索する楽しさを思い出した気がするという話と、思い出す助けができるかもしれないという話。
自分のようにロボットを諦めた人とか、やってみたいと思っている人に読んで欲しい。

模索は楽しい

ロボットエンジニアにはなれなかったものの、学生時代は結構ロボットをやっていた。
一年生からロボットサークルに入り、くらだないアイディアを大量にある時間を投じて試したりするのが今になって思えば楽しかったのだなと。
すでに検証されていたのかとか別段気にしていなかったし、こうして少しずつやったことを積み上げるのというのはとても良い経験だったと思う。

模索は避けるべき

ただ多くのことは先人が行っており、成果を上げるためには無駄な模索は避けるべきだという現実に直面していく。
仕事をこなしていくことが更に大切になり、世の中には大量のベストプラクティスが溢れておりそれらを学ぶべきと。まぁこれは間違ってないと思う。
そして模索というのは楽しいものではなく避けるべき無駄な時間だという価値観にだんだん変わってしまっていた。

家庭用ロボットと模索

1年半前からロボットの会社に転職し、カチャカという家庭用ロボットを作っている。

こんなこと書いたらあとで怒られるかもしれないけれどレストランで動いている配膳ロボットを見たことあったらそれを、 小さくして棚を自動着脱可能にした感じ。あと家庭向けなので安い(配膳ロボが300万ぐらいすることを最近知った)

kachaka.life

で、この家庭用ロボットとかいうものは家で使い道を考えることになる。
自分がどう使っているかはこの記事の本題と逸れるので今度書く。

で、あーだこーだやっている中でこの感覚が懐かしいなと気づいた。サークルの頃みたいだなと。

白紙が多い領域を模索するのが楽しい

模索は楽しいが、昔のようになんでも模索するというのはもう楽しめなくなってしまっている。そういった点で昔とは少し違う。
先人に学ぶことを覚えてしまったのと、仕事をしていると時間が有限だというのがあると思う。
つまりまだ先人のいない領域の模索というのが一番楽しいく手放しに感じることができるのだと気づいた。

家庭用ロボットを模索するということ

とはいえこの情報社会、多くの先行例に簡単に触れられるのでそういう領域が少ない。
家庭用ロボットはまだまだこれからのものなので、そういう点では白紙の部分が多い。
さらに今後確実にロボットが家庭に普及していくとは思っている人は多いはずだ。だからこの分野を模索しながら考えることには意味がある。
配膳ロボットに気づくどころか模索もしていなかったのは、ただのロボット好きとしてダメだなと転職してから反省した。

ということで模索しませんか

ということで、家庭用ロボットを家で使うだけで十分模索はできるのでやりませんか。

また自分のようにロボットわからなくてもプログラムは少し書けるという人が、 できることを増やするるようにAPIを作って簡単に操作できるようにしています。

カチャカは体内でjupyterが動かせて開発環境すらいらなし、 このぐらいのコードでワゴンをキッチンに運ぶということができる。
家具や場所の登録はアプリから簡単にできるようになっている。
とかなり優しく作ったつもり。

import kachaka_api
client.update_resolver()
client = kachaka_api.KachakaApiClient()
client.move_shelf("ワゴン", "キッチン")

けれどもAPI公開してワークショップもやるということが話題になっているのは、 現役バリバリロボットを触っている人だなーと思って申し訳程度にこの記事を書きました。
ロボットから離れてしまった人、ロボットをやってみたいなとは思っていた人がぜひ、買わずともこのワークショップに参加してくれたら嬉しいです。